民主化と豊かさ~中国民主化一辺倒論への反論~
日本の国会議員がウクライナのゼレンスキーの話を聞いて立ち上がり拍手を送った。その中にはかつての日本の中国侵略を否定し、謝罪を拒む議員も多数いる。かつての日本は中国で今のロシアのウクライナ侵攻より、はるかに酷いことを行った。日本の中国侵略を否定する議員がなぜかゼレンスキーに拍手を送る。そんな議員の頭の構造はどうなっているのか。思考回路が壊れているのか。
ゼレンスキーが正義の代表のように報道されるが、ロシアの眼と鼻の先、今も両国民が兄弟国と語るウクライナでロシアに向けたミサイル設置が進むなら、今のロシアのウクライナ侵攻は予測されたこと。
なぜゼレンスキーはロシアを刺激することを続けたのか。なぜウクライナをNATOにもロシアにも属さない中立の立場に導かなかったのか。
ゼレンスキーも大きな罪を犯した。なぜ日本のメディアはウクライナのロシア系住民への過去の対応を報道しないのか。ウクライナでのロシアに向けたミサイル配備での米国の工作を報道しないのか。不思議である。
ロシアと米国の間に立ちウクライナを中立に導くのが日本の政治家の役割だろうが、全てが“米国に右へならえ”の日本の政治家にはそれができない。
10年以上続いた科学技術振興機構(JST)の中国総合研究センターのコラム「和中清の日中論壇」が終了した。以下は昨年掲載見送りとなった幻の原稿を下記に掲載します。
“民主化一辺倒論”への問いかけ
今回の日中論壇は少し経済問題を離れ中国の民主化について考える。
筆者は常々中国の体制や民主化に対する米国や日本での批判に違和感を覚えている。だが断っておくが、民主化を否定する考えはない。むしろそれを肯定するが、それを中国に置き換えた場合、米国や日本の言論に違和感を覚える。その理由は後に詳しく述べるが中国の実情を理解せず語られること、またデマが多いからである。
そのため今回の日中論壇は軽々に中国の体制を非民主的、独裁、覇権主義と批判する人への反論であり問いかけでもある。日本の多くのメディアや知識人のそれに関する言論は中国の実情を理解していない。或いは理解しても真実を語らずに批判するという意味で、ここではそれを仮に“民主化一辺倒論”と呼ぶ。だから今回の日中論壇は“民主化一辺倒論”への問いかけであり、その問いかけのために、
- 民主化と豊かさ、どちらが先か
- 一足飛びの民主化が中国に可能か
- 日本で報道されない中国社会の変化
- 中国への誤解を創るデマ情報
- 米国の「中国封じ込め」
- 新時代の中国を恐れる米国
- 世論を反中と嫌中に導く日本のメディアの問題
そして最後に、
- 必要な中国との対話と6つの視点について述べる。
1.民主化と豊かさ、どちらが先か
1)色をつけて語られる中国
最近、ある新聞の社説に次のような言葉があった。「(コロナで)中国は都市封鎖やĪTを駆使した国民監視などの対策を、持ち前の強権政治により一気に進めた」
それを語るなら早期にコロナを終息させて経済活動を復活させるのが良いのか、中途半端な対応でいつまでも長引かせるのが良いのか、どちらがいいかの意見を述べて強権の言葉を使うべきと思うが、中国が感染を封じ込めたことも批判や皮肉で語られる。
次もやはり日本の新聞に掲載された言である。
「中国がコロナの抑え込みに成功し経済も順調に回復していることで、自由な市場経済と民主主義の政治体制という西側の価値観が本当に普遍的なのか、危機時には中国のような強権的な体制の方がいいのではないかという疑念が生まれ、それにどう反論するか…」
この日中論壇で既に述べたが、中国のコロナ対策は強権だから成功したのではない。成功の主要因は「進言・判断・決断・協力」である。最初のボタンをどうかけるかでコロナ対策は決まる。ワクチンや治療薬開発が進まない段階ではPCR検査を整え、陽性者を施設や病院に隔離する以外に早期沈静手段はない。日本では陽性者即ち感染者でないという政治家すらいる。だから隔離も進まず中途半端な対応を繰り返す。日本経済は「曇り時々雨、一時晴れ」を繰り返すと述べたが、このままでは一時晴れも怪しい。コロナ対策は感染病対策で強権が伴うのは当然である。それを西側の価値観云々で語られるのでおかしくなる。
ワクチンなど中国が行う医療物資支援は下心があり、西側諸国が行う支援は善のようにも語られる。コロナ問題だけでなく中国に関する言論の多くに色がつく。米国のインド太平洋戦略や南シナ海での行動は善で中国の一帯一路は覇権。国際関係で中国がウィンウィンを語れば怪しさを指摘し、米国や日本がそれを語れば善となる。
多くの事例で中国の実情を理解せず「体制が違う」「価値観が違う」「異質な国」「権力主義」「独裁」など、色をつけた言葉で語られるのが中国である。
中国の格差批判と民主化批判は同じ構図である。10億を超える人口が同時に豊かになれる社会は過去も未来も有り得ないが、日本の言論は中国の格差を徹底して批判した。だが中国は中間層が拡大して多くの国民が日本人より豊かになる時代を迎える。
民主化も同じで、一足飛びの民主化が中国で可能かを論じずに“民主化一辺倒論”が幅を利かす。中国が豊かになれば民主化すると思ったがそうでないと言う人もいるが、前米国務長官のように、そんな人は豊かになる前から体制批判をしている。さらに中国はまだ全体では豊かになっていない。先富を脱し共同富裕に向かう豊かさへの途上にある。
2)民主化と豊かさ、どちらが先か
改革開放前の中国がどんな社会だったのか。それを考えずに中国の民主化を叫んでも絵空事にすぎない。
次の表は1990年の中国を表わしている。
1990年の中国の一人当たりGDPは同年の日本の1.4%、平均家計所得も同じ1.4%程である。前回の日中論壇で述べたように1990年の上海のGDPは東京の3%だった。大都会の上海ですら1990年の平均賃金は月243元、日本円で7,375円だった。1990年でさえそんな状況で、改革開放直後の中国がどんな状況だったかは推して知るべし、である。
1980年代から90年代初の日本はバブルの熱狂に酔い、不動産など社会の多くで札束がまかれた時代である。その時、中国の都市でさえテレビや冷蔵庫も半分以下の普及率だった。
今はベンツやポルシェに乗る人も自転車で職場に通った。
そんな状況で大方の中国人が望んだのは豊かさである。決して民主化ではない。
そのように筆者が語ればきっと両方が大切という反論も返る。それも当然な反論と思うが、問題は二兎を追うことができるのかである。それを次に述べる。
2.一足飛びの民主化が中国で可能か
中国の体制批判をする人たちが殆ど語らないことがある。それは中国の国情である。先に述べた貧困もその一つだが、その他に、
巨大人口の国
多民族と多言語の国
広大な国土
多くの国と国境を接する国
侵略を受けた国
右派闘争や文化大革命などの悲惨な歴史を体験した国
という現実が中国にはあった。
貧困と共に、これらが中国の体制を考える上で考慮すべき国情と思う。
それらに貧困を重ねた場合、改革開放を進めるに相応しい体制とはどんな体制なのか。
1978年の中国共産党第十一期三中全会で階級闘争を終結し、世界の国々と平等互恵の経済協力によって近代化を図り経済改革を進めることが確認され改革開放が始まった。
計画経済社会が市場経済のもと改革開放に向かう。複雑な国情の中国が、ある日突然、共産主義を止め明日から民主化は現実的に不可能だ。敢えてそれを進めた時、筆者がそこに思い浮かべるのは混乱、分裂、民族闘争である。
1978年の中国の人口は96,259万人である。10億人の突然の民主化。果たしてそれが現実に可能なのか。中国の民主化を語る人の多くは巨大人口を想定していない。現実味がなく想定しえないと思う。さらに中国は政情不安のイスラム圏とも国境を接する。国境を通じ外国の干渉も受けやすく干渉や侵略の歴史もある。また国内闘争の苦い失敗も体験している。
改革開放にあたり鄧小平が語った言葉は「階級闘争を止め経済開発へ」である。春秋戦国、前漢、後漢、三国分立、南北朝、隋、唐・・古代中国史を思い浮かべても数えるときりがないほど中国では分裂と抗争、闘争が繰り返された。中国は「放置すれば乱れる」国でもある。
そんな国が制度を大変革し経済開発を進める。先ず必要なのは安定とまとまりである。
“早く豊かに”のために選ぶ道は一つで、西側諸国の語る民主化と豊かさの二兎は中国では考えられない。そのため中国は「中国式民主化」の道をとった。
その選択も民主主義の過程を経ていないとの反論もある。だが10億人もの国がリスクを冒しそれを試すわけにはいかない。だからその議論は不毛な議論となる。
中国人の大多数はその選択を支持していると思う。豊かさを取るか、西側諸国の民主化を取るかは当事者の立場に身を置かないとわからない。安全で豊かな世界に身を置き西欧式民主主義を説いても絵空事と思われるだろう。
それも“やってみなければわからない”と再び反論があるだろう。だが言論は一方で無責任も生む。やってみて中国が大混乱に陥り、各地で紛争が起こり、内乱で多数の人が死に、その結果、今も10億を超える人が貧しくても言論に責任が伴わない。もし西欧式民主化を目指し失敗した時、民主化を叫んだ人は言うだろう。“やり方が拙かったのさ”。
中国は共同富裕社会に向かっている。一方で民主主義の旗手の米国は大きな格差社会である。人種差別も今なお続く。暴動で議会占拠事件も起きる。毎年、何千人もが銃の犠牲になる。だから中国式が良いとは言わないが、中国の選択は正しかったと筆者は思う。
人口で中国の12分の1の日本をまとめるのも大変である。図らずもコロナがそれを証明した。筆者は、コロナは幕末の黒船と似ていると思う。時代の変化と共に日本は政治体制も政治家も経済運営も大きな変革が迫られている。だが多くの面で日本はあまり変わっていない。どうしてこの人が国会議員になったのか、間違いではないのかと思う人もコロナであぶり出されている。コロナ対策の準備を見ても企業がプロジェクトを進める際の準備、その定石と大きなズレがあると思う。日本を動かすシステムのどこかが疲弊しているのか、皮肉なことにコロナが黒船の役割を果たしそうである。
筆者は巨大人口の中国は、西欧式民主主義を選択せず“まず豊かに”でまとまり驚異の成長を成し遂げたと思う。
また後に述べるが、中国は決して民主化を捨てた独裁国でない。
3.日本で報道されない中国社会の変化
日本も自力で民主化を成し遂げたのではない。今だからこそ世論もメディアも民主主義を当然と受け取るが75年前の日本はそうでなく、外圧で憲法も民意もメディアも変わり民主化に舵をきった。中国も右派闘争や文化大革命を経て改革開放に向かった。
そして改革40年を迎えたが、その間民主主義に背を向けたのでなく中国の国情の下で「中国式民主化」の道を歩んだ。
もう一つ民主化一辺倒論者が語らないこと。それは40年間の中国社会の変化である。
中国式の民主制度には二つの形式がある。一つは「選挙民主」で、もう一つは「協商民主」である。選挙民主にも二つある。一つは18歳以上の中国人が投票権を持ち、地方の区(県)から国家の人民代表大会代表を選ぶ権利を持つ。二つは各地域の人民代表大会で代表が地方行政長を投票で選出する権利を持ちそれを憲法で定めている。
「協商民主」とは各級政府(県から中央政府)が年次予算と発展計画を代表大会で審議する。その審議前に学者や専門家、各部門の行政長官、各業界別団体、各民主党派に諮問し、各業界・団体・党派の意見を組み入れて年次予算や発展計画が成立する。また党内でも同様に、地方政府から国家までの政策、法規、計画、重要報告の策定に各業界・団体・党派の意見を組み入れる。そして各層と人民の意思を統一して共同合意した目標に向け国が動く。
形式的と批判されるだろうが「選挙民主」も「協商民主」も大切な中国式民主制度である。殊に「協商民主」は重要な民主制度で国家機関に制度として組み入れられている。
また近年、注目すべきことはインターネットの普及で、政府が直接市民から意見を聞くことも多くなり、インターネットに反映される民意が政策と法規に影響を与えている。例えば春節時の爆竹禁止の法制定前に様々な人の意見を集めて公聴会を開いている。公聴会を重ねて政府が利害を説明し、意見をまとめて法制定される。中国の政治家は民意で選ばれないだけ、逆に民意に敏感になる。ネット社会がそれに拍車をかけている。
「選挙民主」「協商民主」は直接民主主義のもとで暮らす国民には民主主義と言えないだろうが、国情の違う中国ではそれも大切な民主主義の一つに違いない。
さらに“民主化一辺倒論”が理解せず、語らない中国社会の大きな変化もある。それは経済的豊かさだけではない。
次のグラフは大学生と中国人出国留学生の推移である。
(出典:中国統計年鑑)
(出典:中国統計年鑑)
中国の大学生は1980年には114万人だったが、2019年には3,032万人になった。出国留学生も1980年は僅か2,124人、2018年には66万人になっている。
80年代までは中国の若者は自らの意思で大学も学ぶ学部すらも選択出来ず、卒業しても自らの意思で就職先を決められなかった。就職のための居住地にも制限があった。まして農民が農地を離れるのは厳しく制限された。
だが今は、自らの意思で大学も専攻も就職先も選ぶことができる。農民も都市への移住が可能になり、都市戸籍の取得も順次、認められている。自らの意思で高等教育を受けることも海外留学も起業も可能。それも大きな民主化と思う。
改革開放前は日本の流行歌さえ制限されていた。それも認められ1979年には「北国の春」や「四季の歌」がヒットした。60歳前後の中国人にはその曲が歌える人も多い。
1992年の海外旅行者は年間300万人未満だった。その大半が政府や国有企業関係者の海外出張である。だが海外旅行者は今や2億人近い。同一人の複数回出国も含むが、国民の14%が海外に出かける。中国は独裁国と語る人もいるが、世界のどこに毎年14%の国民が海外旅行をする独裁国があるのだろうか。
何よりも大きな変化は財産の私有である。土地は国有で私有は認められないが、使用権として売買でき、それで住宅の私有が可能になった。その結果、中国に住宅ブームが到来した。中国の大都会で近年建てられた住宅の平均床面積は東京や大阪の平均床面積を上回るだろう。2018年の全国住宅販売総面積を販売戸数で単純に割れば111㎡である。だが、1990年の上海の一人平均居住面積は6.6㎡で3人家族なら20㎡、和室なら12畳だった。
自由に起業して私営企業経営者や個体工商戸と呼ぶ個人事業主になる人も多い。総戸数が8,261万戸、就業者は1.8億人の個人事業主の所得も当然だが個人財産である。
市場経済への移行自体が中国ではもの凄い民主化である。市場経済は個人財産の保障と尊重で成り立っている。
だが“民主化一辺倒論”はそれらに思いが向かない。
筆者は中国が仮に未来に西欧式民主化に向かうとしても、その前に二つのやるべきことがあると思う。一つは「負の共産主義」からの離脱、すなわち闘争に明け暮れ共に貧しかった中国からの離脱で、市場経済を通じて社会ルールと民主主義の基礎を学びながら一定の豊かさを実現することであるが、ほぼそれは成し遂げられた。
二つは「善の共産主義」の追求。それが新時代の「共同富裕」である。習近平主席は「共同富裕」は西欧の民主主義では成し得ないと考えている。米国はその反面教師である。だから「共同富裕」を成すまで共産主義からの完全な離脱はない。「共同富裕」を成しえた時にどうするか。後の賢い世代に聞いてくれ。推論だがそう考えているのではないか。
4.中国への誤解を創るデマ情報
1)噴飯のデマ
中国の体制問題を複雑にさせる一つはデマ情報である。米国の政権交代間際に前政権国務長官が「ウィグル大量虐殺」を認定した。どさくさに紛れ“ヤケクソ”の対応にも見える。
報道では場所も時も人数も、どんな状況で虐殺が行われたのか何の説明もない。100万人以上の強制収容も語った。その場所や時期も説明がない。ウィグル族の人口、女性や子供の数、居住地の拡がりから100万人、200万人の強制収容はデマと日中論壇で述べた。まんざら嘘でもないと思う人もいるが、何も特定しない100万人の言はデマと考えるのが自然だ。
日本で強制収容を語る人にどこで、いつを問うと、全ての人の返答は「そこまでは知らない」である。「強制収容の内部文書もある」と断定する学者もいる。ならばなぜ自身が見た文書を公開しないのか。ある日本の新聞は2019年11月、強制収容の内部文書をニューヨーク・タイムズが入手したと報じた。だが、内部文書の出処は不明で信憑性の記述もない。
「強制収容」を教育施設への収容とするなら、ウィグル族の職業教育施設には多くの国の政府関係者も見学し一定の評価もある。だが見学に関する報道は日本では殆ど見ない。
仮に内部文書が事実でも、文書は教育についての家族への説明文とされている。しかし日本での報道はニューヨーク・タイムズを疑わずに大きな見出しで「中国、ウィグル弾圧指示」となる。教育が強制収容、弾圧、200万人、大量虐殺になり伝わっていく理由がそんな報道姿勢でもわかる。メディアが「ウィグル大量虐殺」を報道するなら、「場所も時も人数も手段も特定されていないが」と断りを入れ報道するのがメディアの責務と思う。
また報道では前国務長官が「(中国は)弱い立場の少数民族らを強制的に同化させ、最終的には抹殺しようとしている」と述べたとされる。少数民族の実態や中国政府の少数民族への対応を知る人には噴飯のデマである。中国では中央政府や地方政府の要職、幹部に相当数のウィグル族やモンゴル族の少数民族幹部もいる。このような暴論に中国政府が強い対抗措置で前国務長官らに制裁を課すのも当然と思える。
日本でも「(新疆ウィグル地区に)漢人とは異なるウィグル人の基盤が存在するため、その文化を破壊して漢人文化圏にしようというのが中国政府の考え」と暴論を語る学者もいる。ウィグル人の文化が破壊されているのか新疆に行けばすぐにわかると思うが。
内モンゴルでも政府がモンゴル語を無くそうとしている。「民族弾圧」と報道された。
内モンゴルではモンゴル語が無くなると語る識者もいる。内モンゴルには140の蒙古族の民族中学がある。民族学校は蒙古語だけでなく蒙古族の文化、歴史、伝統を継承するために設置されている。また民族学校には純蒙古語で授業する学校と蒙古語と漢語で授業する学校がある。内モンゴル自治区の北東、黒竜江省と接する興安盟は71.8万の人口のうち蒙古族が42.9%で、全盟に66の蒙古族の幼稚園と小中学校があり、純蒙古語学校は42校、蒙古語と漢語で教える学校は24校である。それなのに日本での報道や識者の言が何故「内モンゴルで蒙古語を無くそうとしている」になるのか、不思議である。
内モンゴルの小学校ではモンゴル語以外に漢語や英語教育も加わりトライリンガルの言語教育が進み、モンゴル語も漢語も学習時間が少なくなった。
さらに進学と就職で漢語授業の希望が増え漢語学校に子供を通わせる父兄も多くなっている。大学受験は漢語で、漢語を強化しないとモンゴル族に不利で、学校は学習の時間調整に追われる。中国憲法は少数民族言語保持を規定し、歴史過程で民族語学習が出来ず民族語を話せない子供にそれを取り戻す教育も行っている。英語学習時間が増え民族語の時間が減っても「民族弾圧」とは報道しないが、漢語学習が増えると「民族弾圧」になるのが不思議である。それについてはJSTの研究論文「中国企業・産業のコロナ感染症後への対応と日本企業のあり方」で述べたので参照いただきたい。
新疆ではウィグル族すら巻き込む多数の無差別テロが起きたが、日本では無差別テロが殆ど報道されずに強制収容、弾圧、虐殺だけが伝わるのも不思議である。
2)香港デモの報道姿勢もおかしい
香港学生デモでも多くのデマ情報が流れた。噴飯とも言えないがやはり中国の体制に関して大きな誤解を与えている。
2019年6月19日のデモをある日本の新聞は「香港デモ200万人」の大きな見出しで報道した。記事を読むと200万人は主催者発表で、警察発表は34万人である。
人口が745万人、労働人口は398万人、大学生19万人、幼稚園児と小中学生が87万人、お年寄りもデモ反対の市民も多数いて、交通手段も限られる中で200万人デモなどありえない。本土からの移住者など香港の親中派は人口の40%とも言われる。福岡市の人口さえ160万人である。皮肉を言えばデモの列は香港を越えて深圳の先まで続いたのか。主催者発表の人数を大きな見出しで伝える報道姿勢も疑う。
2019年8月17日に香港九龍の紅磡(ホンハム)周辺で数万人のデモがあった。紅磡は香港島を望む海辺の公園があるところだ。同じ日に「愛国、愛港、支持警察」を掲げた47万人(主催者発表)の暴力デモ反対集会が地下鉄金鐘駅の添馬公園一帯であった。だが、日本では学生デモは報道されたが反対集会は報道されなかった。また香港では多くの市民や団体も逃亡犯条例を支持し80万人超の署名も寄せられている。
学生デモを支持する香港民主党は以前、香港と中国本土の犯罪人引渡協定締結を香港議会で要求していた。それも当然である。中国は本土犯罪者が笊から水が漏れるように香港に逃げ込むジレンマを抱える。一方香港ではそのために治安が悪化する。学生が逃亡犯条例反対を叫ぶ一方で香港にはその現実がある。逃亡犯条例阻止を叫ぶ民主派に不都合なそんな事実は日本で報道されない。
香港の「リンゴ日報」経営者、黎智英氏を日本メディアは民主派の旗手と持ち上げている。黎氏はペンス、ポンペオ、ボルトン前米政権首脳と親交がある。
香港紙は、黎氏の腹心で補佐役の元米海軍情報員のマーク・サイモン氏が米大統領選挙に絡み、バイデン氏子息が中国企業と組み不正利益を得たというデマをどこからか資金提供を受けて工作し、黎氏もそれを認め謝罪したと報じたが、その情報も日本では限定的だ。やはり香港民主派に不都合な事実は日本で報道されない。
このようなデマ工作を聞き、筆者が真っ先に思い浮かべるのは1958年のチベットラサの反乱における国際法律家委員会調査団への米情報機関反共宣伝組織による情報工作である。米国は今も変わらず同じような反共情報工作を続けているのだろうか。
米国議会占拠事件では日本の全てのメディアは乱入を批判的に報道した。だが2019年7月1日、香港返還22年式典日に学生等が鉄パイプやバールで武装して議会建物を壊し立法会議事堂を占拠した事件への批判は聞こえてこない。「一部の若者が過激な行動で立法会建物に侵入占拠した」と淡々と伝えるだけである。鉄パイプや火炎瓶を用いても香港学生デモは暴力デモやテロとは呼ばれず、せいぜい過激な行動となる。
昨年、日本のある新聞は元英外相の中国批判記事を大きく掲載した。元外相は「国家安全法は1国2制度を定めた英中共同宣言に完全に違反‥(中国は)香港の自由をひと切れずつ切り取る戦術」と述べた。2制度には国家の安全事項は除外され1国が2制度の上位にあると既に日中論壇で述べた。元外相は英国植民地時代に一国二制度の形骸どころか香港の民主主義がいかに無残だったかについて何も語らず中国への圧力を訴えている。せめて一言くらいはその時代に言及し反省があってしかるべきとも思う。
このように多くの日本メディア(全てではないが)の中国報道は一方的でダブルスタンダードにも見える。
一方、中国情報では馬鹿らしいと思うデマも事実として伝わる恐ろしさがある。
10年ほど前に沖縄で右翼による中国共産党なりすましの街宣活動が行われ、中国共産党が沖縄で独立運動をしているとの言が飛び交った。これも“そんな馬鹿な、あほらしい”の類のデマだが信じる日本人も多数いた。“ちょっと聞いて、ここだけの話”で人から人に伝わり、伝わる内にデマが真実に化ける。
5.米国の「中国封じ込め」
1)米国は中国の民主化を望まない
戦後すぐの米国の対中政策は50年代のアイゼンハワー大統領の下、ダレス国務長官による「中国封じ込め」だった。チベット動乱支援も反共の「中国封じ込め」だった。
だが冷戦後、中国との対立は新冷戦手段となった。米国は冷戦を導くことで膨大な軍備も米軍基地も維持できる。そして近年は影響力を高める中国の力を削ぐ意図が鮮明になっている。5G通信など米国の独断場に中国が入り込み権益を脅かす。アジアの国に米国は負けない。そこに楔を打つために米国は「新中国封じ込め」を過激に進めている。
今年1月、日本の新聞にある米国大学教授の以下の言が載った。教授は米国防総省や米情報機関に助言する立場の人である。
「中国は台頭する大国として、特に危険な時期に入っている。今後5~10年でより攻撃的となり、軍事的衝突に発展する恐れもある。中国の経済成長の減速は著しい。経済低迷が社会・政治の不安につながる恐れもある」
「危険な時期に入っている・・」、どんな事実を根拠に述べているのだろうか。もし中国が攻撃的とするなら煽り運転に遭遇した車と同じで、後ろから煽られると多くの人は速度を上げる。それを見越して煽るのだろうが、誰がなぜ煽るかは言わずもがなである。
教授の言に反論すると、中国の経済成長減速は著しくない。経済低迷でもなければ、それが社会・政治不安につながる恐れも全くない。
教授の言葉が米国の本音を表わす。米国の中国批判は「中国封じ込め」の手段で、欧州や日本が中国に向かうのを引き止める手段でもある。
米国の中国民主化要求は建前で本音は違う。米国は中国との対立に国益を見出し、本音は中国の民主化を望まない。「危険な国」のレッテルを張ることが国益と右派政治家の利益にも叶う。だから米国は日中韓や東南アジア諸国の地域的経済連携(RCEP)、中国と欧州連合(EU)の投資連携協定など、中国が進める国際協調にも悉く批判的になる。
2)南沙が全てを物語る
米国の中国封じ込めが端的に現れるのが南沙だ。南沙には複雑な関係国の利害が絡む。
1978年3月12日の朝日新聞に次の報道がある。「パラワン島から派兵されたフィリピン軍が三月早々、電光石火の早業で南沙諸島のパナタ島を占拠した。パラワン島沖で米比合弁の石油開発企業が、商業生産が可能なフィリピン初の有望な油田を掘り当てた、というニュースが二月の終わりに選挙中のマニラをわかせたと思う間もなくの出来事だった」
当時、フィリピンは米軍の力を背景に南沙の七つの島を軍事支配していた。
日本ではCSĪS(米国戦略国際問題研究所)が提供する中国の岩礁埋め立て写真がクローズアップされるが、南沙には200近くの自然島と砂州と岩島、砂、礁、灘があって多国間の領有権紛争がある。自然島は太平島やパグアサ島、南威島等の11の島があるがそれらは台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア等が実行支配し滑走路や軍事施設、学校も建設している。中国が支配する自然島は無く8つの岩礁を実行支配している。南沙の海底には石油資源があり石油をめぐる多国間係争がある。フィリピンが米国と進めた石油採掘には中国だけでなくベトナムも抗議している。
そんな南沙に米国のアジア利権が複雑に絡む。南沙は米国が叫ぶ航行の自由や開かれたアジア太平洋の建前だけでは読み解くことはできない。
90年代から2000年代にかけ中国とASEANは南沙の解決に動き、南シナ海関係諸国行動宣言(各国行為宣言)を採択する。行為宣言では南沙の平和解決と新たな島への支配拡大の自制、最終的行動規範策定の努力に合意した。2003年には中国は東南アジア友好協力条約(TAC)に署名し戦略的パートナーシップが宣言された。2005年にはスプラトリー諸島周辺の共同資源探査を中国とフィリピンとベトナムが合意し調査も行われた。
一方、ASEANや中国、日本、韓国などのアジア関係国は東アジア共通市場、東アジア単一通貨構想、東アジア共同体構想にも向かった。
だがそれらの動きは、「アジアのことは米国が決める」の米国のアジア戦略と衝突する。
米国は1992年にフィリピンのスーピック基地、クラーク空軍基地から一旦撤退するが、中国を封じ込めアジアの結束に楔を打つべくフィリピン軍との大規模合同軍事演習やベトナム軍との共同演習を再開し、海南島周辺海域の偵察活動を活発化させた。その結果、海南島近海で米偵察機と中国戦闘機の接触事故や中国艦船と潜水艦探査の米海軍音響観測船の対峙事件も起きた。今も米国は頻繁に南沙に空母を初め、艦船を航行させている。中国偵察機や海軍艦船が度々ハワイやフロリダ沖に現れるなら米国はどんな反応をするのだろうか。
南沙には石油資源と島の領有をめぐる各国の係争、それを回避し中国とASEAN、アジアが結束に向かう動き、米国のアジア利権と中国封じ込め政策などの事情が複雑に絡む。CSĪS提供の岩礁埋め立て写真だけではその実相は見えない。
6.「新時代」の中国を恐れる米国
トランプ後、米国の対中姿勢は変化するのか。中米関係は好転するか。筆者は疑問に思う。
新時代の中国は中間層が拡大し豊かな人が増え格差が縮小する。これは米国にとりゆゆしき事態の到来である。自由と民主主義で理想社会を目指したはずの米国が大きな格差社会となり貧困に喘ぐ人が増加した。トランプ時代の負の遺産、社会の分断も激しくなっている。米国社会の理想と現実がますます離れて行く。
その一方で体制批判を続けた中国が格差を解消し新時代を迎える。中国の印象が崩れると同時に、米国の自由と平等と博愛の理想社会の虚構が鮮明になる。
その時、中国人は叫ぶだろう。
「中国人から見れば米国の自由主義こそ欺瞞だ。ひどい格差はなんだ。中国の少数民族弾圧のデマを流しながら足もとの黒人やヒスパニック、アジア人差別もひどい。学校での銃乱射も頻繁に起きる。毎年、何千人もの尊い命が銃の犠牲になる。政府が銃社会を容認しているので中国から見るとそれこそ大量虐殺だ。教員に銃保有を勧める国がまともな民主主義国なのか。中国を批判する前に足元の民主主義と真摯に向き合うべきだ」
多くの中国人はきっとそう叫ぶに違いない。
中国は市場経済社会で資本主義社会に近い。米国と同じ市場経済社会の中国が共同富裕社会になり、多くの人が米国の欺瞞に気づく。米国はそれを恐れる。そこから目を逸らすためにより厳しい「中国封じ込め」に向かうことが危惧される。
7.世論を反中と嫌中に導く日本のメディアの問題
1)問われる報道姿勢
中国政府は武漢をコロナに打ち勝った英雄都市と称え、その治療に携わる医療従事者は中国では英雄である。日本での医療従事者やその家族への差別は中国では殆ど聞かない。上海では海外派遣のコロナ医療団壮行会がドローンの映像技術を使い開催された。
だが日本では「(英雄都市の)その陰で多くの不安と憤りがあった」「中国当局、遺族に圧力」と武漢の遺族の不満を追う報道も目立つ。
遺族の憤りも理解できるが、当時武漢はコロナへの対処も手探りで、街も病院も混乱の真っただ中にあった。
武漢に比べて日本は対応の時間もあった。だが武漢封鎖から1年以上の今も、発症者の入院に右往左往し自宅で亡くなる人も多く、緊急事態が続く。世界トップの人口当たり入院ベッド数と先端医療を誇る日本、対応時間も考えると武漢より日本にこそ多くの不安と憤りがあるのではないか。
800万人が暮らす武漢で憤りがあるのは当然で、敢えてそれを追いかけて体制批判に結び付ける意味があるのだろうか。民族性の違いか、中国人と日本人では怒りのぶつけ方が違うだけの話ではないのかと思うが。
その憤りも無視されたわけではない。憤りがあればこそPCR検査を整え、隔離施設を建設し、全国から医師と看護師を派遣し終息させたのだろう。
日本のメディアはPCR検査で並ぶ人の姿すら「中国では強制的手法がとられる」と皮肉を交え報道する。だがその一方で、日本の進まないPCR検査を憤りで報道している。
中国の製薬企業、シノバックやシノファームがアフリカやインドネシア、ミャンマーの東南アジア諸国、トルコやセルビアなど中東やアフリカにワクチンを提供すれば「ワクチン外交」の言葉でコロナ禍に乗じ中国が影響力拡大を図るような報道がされる。それなら財政的に困難なアフリカや東南アジアの小国は「亡くなる人はしかたないと諦め、WHOや欧米からワクチンが供給されるまで我慢して待て」と報道しているのと同じだろう。
日本人の大多数が中国を批判的に見るのはそんな報道姿勢も影響していると考える。
2)現場感覚からずれる日本の中国経済報道
昨年12月30日、中国とEUが包括的投資協定(CAĪ)に大筋合意した。筆者は、これは中国の今後を読む上で非常に重要な意味を持つと思う。その理由はドイツのメルケル首相主導で合意に至ったことである。メルケル首相は他のEU首脳の誰よりも投資協定の価値を強く認識したのだろう。メルケル首相はトランプ前大統領の一国主義と思考の単純さに辟易し、米国の欺瞞に巻き込まれたくないとの思いが強かったと思う。メルケル首相は中国が力の外交では動かされず、「太陽と北風」のように北風には徹底して対抗すること。そのため相互尊重と対話で横たわる障害を一つ一つ剥がす手段しか通じないことを理解していただろう。
メルケル首相は生後間もなく東ドイツで暮らし、中国の社会主義が東ドイツとは違うことを自らの体験で理解できたのだと思う。父親が協会牧師という生い立ちも影響したのかもしれない。中国との相互尊重で多国間主義を発展させることがEUとドイツに恩恵をもたらしコロナで疲弊した経済の回復を早めるとの期待もあった。さらに拡大する中国ハイテク市場へのドイツ企業の参入、優位性確保も考えた。中国はドイツが得意とする新エネルギー自動車や環境サービス、メディカル分野、さらに通信とクラウドサービス、海運など多くの分野で市場開放を活発化させる。米中対立を尻目にその分野で優位に立つ狙いもあっただろう。前回の日中論壇で述べたように中国から欧州への国際貨物列車“中欧班列”は欧州21か国、92都市に運行し2020年は年間12,000列車を超えた。上海から出発する“滬欧通”列車はドイツまでの1万㎞を15日で走る。既に中国とドイツとの物流インフラが整備されドイツはそれも大いに活かせるだろう。
だが、この投資協定合意は日本ではそれほど話題にならない。協定には中国が強制労働を禁じる国際労働期間(ILO)の関連条約の批准を約束するなど、中国自身が過去の協定で最も野心的内容というように、中国側も譲歩した内容だった。
しかし日本の新聞は短い記事で「協定でECは中国市場への参入加速を目指す」と淡々と伝えたに過ぎない。ある新聞は投資協定を短い記事で伝える反面、同じ日の紙面で武漢でのコロナ対応の問題、遺族の憤りを大きな記事で取り上げていた。経済紙はさすがにそれより多く伝え「世界2位と3位の経済規模を持つ国と地域の結びつきが一段と強まる」とその意義を少し理解した報道をしたが、大きく注目する取扱いではなかった。
日本のメデイアの目は投資協定より米新政権が日本をどう見るかに関心が向いた。中国EC投資協定より英メデイアが報じた、日米豪印4カ国が安全保障で連携する枠組みの「クアッド」への英国の参加可能性を大きく扱う報道もあった。
日本は米国ばかり見ている間に中国をめぐる世界の動きから取り残されていくように思う。米国が決して世界ではないことを理解すべきではないかとも思う。
日中論壇で日本は“いよいよ”の時に中国から離れようとしていると述べた。日本は米国から離れられず独自戦略を持ちにくく、ドイツのような対応ができず中国から離れてゆく。それがメデイアの報道姿勢にも端的に現れている。
筆者は日中論壇[20-009](なぜ中国では新型コロナウィルスが終息しつつあるのか)の前段で次のように述べた。「6月の消費は前年の水準に戻りつつある。製造業のPМIも新型コロナ前に比べ高く、所得も増加しているので早晩モノの消費に移行する。経済回復は7月になり顕著で中国経済は禍を福に変える如く一人先を行く」
だが、同じ時期にある新聞に次の記事が載った。「大規模なインターネットセールが展開されたにもかかわらず、6月も(消費は)1.8%減とマイナスだった」
日本も中国もコロナで大きな打撃を受けたのは飲食と宿泊である。中国もまだ回復しきっていない。飲食と宿泊の大きな減少での1.8%減の消費は、コロナ禍でも消費が堅調だったことを示すが、そこを見ずに負の側面が強調される。
同じ新聞で次の言もある。「都市部失業率は(コロナ禍で)6月時点で5.7%と高止まりしている。コロナの影響で解雇され、古里に戻った出稼ぎ労働者は統計に含まれておらず、潜在的な失業率はさらに高いと見られる」
日本の中国報道は読者を意識してポピュリズム化して中国の悪い面を強調したい衝動にかられているように見える。
中国の労働者を出稼ぎ労働者と呼ぶこと自体、今は違和感がある。それなら日本でも東京で働く地方出身者を出稼ぎ労働者と呼べばいい。そんな感覚で中国を捉えようとするから報道が中国経済の現場実態から離れてしまう。
昨年7月、既に中国の工場は必死に人を募集し工場稼働を復旧させようと躍起になっている。募集に報奨金を出す企業もあった。だが、リーマンショック時と同じ現場の姿と乖離した報道が繰り返されている。
EⅤ車販売が10月まで7%減となれば、“中国EⅤ普及苦戦”の大きな見出しも日本の新聞に掲載された。しかし中国の自動車販売は昨年後半に急回復した。
昨年の中国の自動車販売台数は2,531万台、前年比1.9%減だったが、新エネルギー車は136.7万台の史上最高の販売だった。この日中論壇でもコロナが終息すればSUⅤ車の販売が伸びると述べたが、SUⅤ車は11月に前年比9.3%増、12月は14.2%増だった。新エネルギー車は12月に前年比49.5%増加し、うちEⅤ車(純電動車)は47.5%増だった。昨年累計でも10.9%の増加である。
次のグラフは新エネルギー車(乗用車)の昨年の販売店向け月別販売台数である。
中国のEⅤ車はテスラやローカル企業が技術開発に鎬を削る。BYDの新モデルは店頭販売前から予約で順番待ち、春節前に増産計画を達成するため部品工場に納期を守る依頼をしている。中国はガソリン車の販売終了時期を既に決めている。コロナが終息すればEⅤ車が伸びるのは当然であるが、一時的現象をとらえ苦戦と報道するのは理解に苦しむ。日本企業が中国から遠ざかるのを報道が後押ししているようにも見える。
筆者はこれまでこの日中論壇で、格差問題、住宅バブル、統計問題、失業、債務問題、影の銀行等々、日本での中国経済に関する報道や論述を批判してきた。もういいかげんに米国寄りの視点で中国を否定的にとらえることから抜け出し冷静に情報を伝えるべきではないかと、正直いささかうんざりしている。
8.必要な中国との対話と6つの視点
1)対話が途絶えた日中関係
日本人の大多数が中国を良く思わないのは、日中間の対話不足も影響している。だから中国への批判的意見ばかりが表に出る。だが2010年まで約十年の日中関係は、一時、靖国参拝で中断したものの、首脳対話も相互訪問も活発だった。
1998年11月、江沢民主席が来日し小渕首相と「夥判関係」(パートナーシップ関係)に合意した。1999年7月には小渕首相が訪中した。2000年4月、曽慶紅中央組織部長が党代表団を率い来日、10月には朱鎔基総理が来日している。2001年10月に小泉首相が訪中し「盧溝橋抗日戦争記念館」を見学して心からのお詫びと哀悼を伝えた。2005年4月、ジャカルタでのアジア・アフリカ会議で小泉首相と胡錦涛主席が会談し「歴史を鑑として未来に向かう、の合意堅持」を確認し「日中戦略対話」が進み出す。中国外交は「与隣為善、以隣為伴」(隣人との良い関係)が近隣外交の基調となり、2006年の第一次安倍内閣の初の外遊先が中国だった。それは「氷を割る旅」と呼ばれた。
2007年4月に温家宝総理が来日し、「氷を溶かす旅」と呼ばれて戦略的互恵関係の構築発展が確認されハイレベル経済対話が進み出した。その年には曹剛川国防部長(中央軍事委員会副主席)が日本を訪れて11月に中国海軍駆逐艦「深圳」も寄港した。さらに12月には福田首相が訪中し「迎春の旅」と呼ばれた。
2008年5月には胡錦涛主席が来日し「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」に署名した。そして6月には懸案の東シナ海の資源開発問題で共同開発区域設定にも合意した。2009年3月には日中安全保障対話が進み、11月に中国海軍練習艦「鄭和」が寄港し、梁光烈国防部長も来日している。2009年9月には鳩山首相と胡錦涛主席が会談し、鳩山首相は東シナ海を「友愛の海」、胡錦涛主席は「平和、協力、友好の海」と述べた。
2010年までの十年、日本と中国は氷を割り、氷を溶かして春を迎えるように思えた。しかしその年9月の尖閣沖漁船衝突や中国での反日デモ、尖閣国有化で再び氷が張り、同時に日本で中国への批判的言論が増した。
2)中国を考える六つの視点
筆者は中国を考える時、特に次の六点について思いをめぐらせるべきと思う。
一.中国は近代に他国を侵略していないこと
二.尖閣にも歴史的経緯があること
三.米国発の中国情報は冷静に捉えること
四.日本の中国侵略にも思いをめぐらすこと
五.中国が安定して発展したことを素直に評価すること
六.中国の社会制度も変化していることに目を向けること
中国は近代に他国を侵略した事実は無い。インドやベトナムとの国境紛争はあったが侵略ではない。中国は空母を造り軍備を拡張し、対外拡張を図り覇権主義と言う人もいるが、それなら米国はどうなのか。2016年の米航空母艦は11隻、しかも原子力空母で性能は中国空母の比ではない。中国空母は今も2隻である。米国防費は中国の3倍近くで両国のGDP差よりはるかに大きい。
日本の防衛白書は「中国の国防費は1988年から(2015年に)44倍に増加」と記すが、1988年の中国のGDPは2015年の僅か2.2%、1988年の米国のGDPの7.8%で、1988年と比べて44倍と述べて軍備拡張を強調するのも奇異である。
筆者は中国の軍備拡張や核兵器保有を肯定はしない。ただ米国の軍備拡張や南沙での行動を問わずに中国の軍備拡張や覇権を煽るのはいかがなものかと思う。
日本人の中国観に大きな影響を与える一つは尖閣問題だろう。尖閣で中国の拡張主義を連想する人も多い。筆者は尖閣諸島が中国領土と語るつもりはないが、尖閣問題は日中間で堂々協議すべき事項と考える。その多言は不要で、次の日中平和友好条約締結後の読売新聞社説が全てを表わす。「(尖閣の)領有権問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約での文書にはなっていないが、政府間のれっきとした約束ごとであることは間違いない」。
武器使用を定める海警法施行で尖閣の緊張が報道される。使用についての裁量が拡がる懸念もあるが、一方で人民警察法や人民警察使用警械和武器条例等が定める使用制限や国際法の影響も受ける。制限が語られず一直線に使用と緊張が報道されている。筆者は尖閣の緊張を報道するなら「れっきとした約束」のその後もメディアの責務で問うべきと思う。
米国発の中国情報の問題は既に述べた。
戦後の中国の政治体制には侵略も影響した。殊に日本の侵略は強い影響を与えた。中国共産党が延安に拠点を置き戦ったのは「抗日戦争」である。日本人の多くは共産党支配を独裁と批判するが、その前に侵略にも思いを馳せるべきと思う。
また改革開放の40年で中国が安定し成長を成し遂げたことを素直に評価すべきだ。その評価がなく中国への批判ばかりが前面に出ている。改革開放に舵をとり40年でこれほどの経済成長を果たしたことは驚異である。独裁と批判する前に大きな混乱もなく巨大人口を豊かさに導いた政治手腕にも敬意を表すべきと思う。
14億人の国の安定した経済発展は少なからず世界の国と人々に良い影響を与えたはずである。それを評価せず批判ばかりしても益するものは何もない。
中国社会の変化については既に述べた。筆者が中国社会と関わり30年以上経過した。その30年を見ても中国人の社会生活と自由度は大きく改善されている。その変化も民主化であることに眼を向けて日本人に知らせることもメディアの役割と思う。
日本や米国での中国に関する多くの論述からは筆者の考え方は異論、異端とも思う。その批判は甘んじて受けるが、筆者は常々日本はアジアの国としての、日本人はアジア人としての矜持と誇りを持ち米国と、また一衣帯水の隣国と接すべきと思っている。